音楽に♯・♭は全く必要ありません
新しい楽典/記譜法      English

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  • 音楽に♯・♭は
    馴染まない

本来、音楽に♯・♭は馴染まない

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◇◇  ♯・♭と音楽の相性  ◇◇

♯・♭を使用する限り、音楽(音程・音律・楽譜)の理解が困難になると言えるのです。その結果音楽でありながら、音の理解が意外と不足してしまうのです。純正律の音は自然の法則に従う、つまり物理現象により生じているものです。これに対して♯・♭の考えは音階の事情から人間が独自に採り入れたものです。しかし♯・♭の考えは音楽にはあまり適さないものとなっていると言えるのです。自然なものではないので、♯・♭は音楽とあまりよく合わないのです。もっと自然な方法が適していると言えます。(このため♯・♭は音楽の足を引っ張っているとさえ言えると考えています。)



従来の記譜法も楽典もハ長調中心のものです。ハ長調以外の調はあたかも単にハ長調の付属物に過ぎないかの如くになっているのです。ハ長調は決して王様の様な特別な存在ではないはずです。ハ長調だけを特別視する必要はないのです。もしハ長調だけしか存在ないのであれば、特に問題にする必要はありません。でも実際は他の調も数多くあるわけです。12の調が平等に存在すると考える方がずっとよいと言えます。クラシックの曲でもハ長調の曲は少ないのです。


これは同じことなのですが、音程を例えば長2度などと“度”で数えるのも優れた方法とは言えません。音程は純正律に対応するために色々呼び方が考え出されていますが、やや不自然なものです。この点についても従来より合理的な方法で行った方がより分かりやすいのです。


◇◇  ハ長調に偏向し過ぎている楽典  ◇◇

今の楽典はハ長調に偏り過ぎています。新しい楽典はこのようなハ長調への過度の偏向をなくそうと言うものです。ハ長調だけを特別扱いするのは良いことではありません。例えばドレミの“ミ”の音は非常に馴染みやすく身近な音に位置付けられているのに対して、それと同じ種類の音のはずのラより半音低い音はやや馴染みの少ない音にさせられています。この2つの音が同じ種類の音である印象を受けることは普通殆んどありません。これはハ長調に偏り過ぎていることによるものです。言って見ればハ長調“えこ贔屓(ひいき)”なのです。


このように特殊な偏りがあるのです。ハ長調への過剰な依存と言えます。これは決してよいことではありません。現在の音楽の世界はこのような特別な偏りの中にあります。これは楽典の事情によるものです。調に対してこの影響が大きく出ています。調には楽典から決められて来る不自然な癖が生じてしまいます。調の違いとは単にド音の振動周波数の違いに過ぎません。ドの音をどの高さに選ぶかと言うだけの問題です。この高さが違うと、同じ曲でも受ける感じや印象は異なってきますから大変重要なものです。各曲の調がこの独特の曲の感じや印象によって決められるのであれば問題ありませんが、楽典が特殊なためにこの楽典の事情によって決められるような面があればおかしな話です。


どうしてハ長調が特別扱いされるのか。それには理由があります。ハ長調という調を全ての調を代表する調として1つ先ず選んでいます。この代表となる調を基にしてその性質をことごとく明確にするのです。そしてその他の調は全てこの調と同じと見なして理解します。この考え方には問題はありません。問題は音名や五線譜のようにハ長調だけを優先してこの調に対してだけ都合のよいものに決めてしまうようなやり方なのです。このようにしなくとも音名や五線譜を全ての調に対して同じ扱いにするのは容易なことです。この辺のところを少し工夫することが重要です。










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